廃棄物

流し文章

本屋からはマイナスイオンが出ている。

そんな気がしてならない。

 

この世で最も好きな場所上位に入る本屋という場所はとてもテンションが上がる。

給料日当日に眺める綺麗に陳列されたハードカバーの棚。賞を獲得しているソフトカバーの本。

手に入りやすい古本もいいが、真新しい傷のないカバーとなんだかわからないコメントがたくさん書いてある、ちゃんと帯の着いた本が好きだ。

 

図書館で借りるのもいいが、図書カードを紛失しているのと、読みたい本は自分のものでないと気が済まない性格なので読みたくなった本、欲しい本は電子でも紙でも絶対に手に入れる。

(あと返すのめんどくさい)

 

久しぶりに紙の小説を読みたくなったので、気になっていた本をいくつか買ってみた。

長編ものを読むのは苦手なので、基本的に短い作品か短編集を手に取るのだけど、久しぶりにこう、がーーっとまとめて読んだせいか疲れてしまった。でも、面白かった。

 

 

 

小説が書けなくなってもう一年経つ。

元々ろくな文章が書けない人間が無理やり創作をしてきた約三年間。ずっと苦手だったけど、こうやってブログを書くくらいの気力が身についている。

本当に、ぜーんぜん書けないのに創作してーーー!とすら思うようにまで。

 

しかし、下書きを開いてもまともなアイディアが出てこない。ない。

完璧主義などという、凡人にとってデメリットしかない性質の欠片を持って生まれてしまうと、書き始めの一歩目すら踏み出せない。

本当にこれでいいのか。

他の人に読んでもらえるのだろうか。

自分の好きなものをただ書けばいいのだ。

滑り出しがいい日もネガティブな感情に襲われてしまい、その内下書きメモを開かなくなった。

 

創作をすることにおいて大事なことは、第一は「楽しむこと」だと思っている。

書きたいことを書けば良い。読者のことは置いてきぼりにするくらいで良いと。

 

不安だった。

そう思い込ませて書いてはきたけれど、やっぱり誰かに読んで欲しくて、知って欲しくてたまらなかった。

 

動いて音の鳴るアニメーション作品ならいざ知らず、全く知らない人間の文章が誰に読んでもらえるのだろうか。

 

観る気がなくても、視界、聴覚に入りこむ機会のあるアニメは知ることができる。

 

小説は?まず手に取ってページを捲っていって……つまらない、読みづらい。ぱたり。

終わり。

 

アニメが嫌いなわけではない。小説に限らず、1話切り3話切りというものが存在するわけで。

でも、アニメの方が知るということのハードルが低いと思う。

 

創作物において、作者にとって見どころ、面白いシーンは宝石で、観る読むっていうのは掘削と同じ(だと思っている)

アニメは目にした途端、勝手に掘り進んでいく自動掘削機のイメージ、放置してても宝石を見ることができる。

仮に宝石を見落としたり、期待よりいまいちなものだったとしても、BGMやキラキラした演出が宝石を照らしてくれて、わかりやすくしてくれたり、あるときは誤魔化しもする。

 

小説は、まず自分で掘る場所の目星を付けて、自分の手で掘り進んでいかなければならない。

承の前半部分までやっとたどり着いたか、音がない空間で、文字を見て頭の中で想像しながらせっせと掘り進んでいく。ただの石にも宝石にも見えるものを持っていって……

 

 

 

 

まあ今はAudibleっていうめちゃくちゃ便利なものがあるので、いうほど苦じゃないのかも。

趣味ランキング上位の音楽鑑賞と読書が肩を並べる日が来るのは近い……多分。

 

 

 

 

 

疲れてしまった。書き手としての体力が致命的に無さすぎる。

そして、この記事のサビは…書いていてわからなくなってしまった。久しぶりに湧き上がった文章書きたい欲がこんなことに消費されてしまってよかったのか。

 

 

 

自分の文章を能動的に読んでくれる人はいるのかな、いたらちょっと嬉しい。